子どもの頃の僕の将来の夢は、プロ野球選手でした。
地域の野球チームに入って、部活でも続けて、本気でそう思っていました。でも、現実はわりと早く教えてくれます。クラブチームに進む同級生、いわゆる超高校級と呼ばれる選手。近くで見ると、レベルの差は埋まらないと、どこかで悟ってしまった。
そこで夢は、「プロ野球選手」から「スポーツに関わる仕事」へとスライドしました。具体的には、理学療法士です。選手は無理でも、選手を支える側ならいけるんじゃないか、と。
ところが、これも続きませんでした。今度は知識の面で、自分には届かないと判断した。それで次は、学校の先生を目指すことになります。
そして実際になったのは、塾講師でした。そのあとエンタープライズのエンジニアになり、いまは独立して、AIを使って新しい価値を作る仕事をしています。
子どもの頃の僕に「将来こういう仕事をしているよ」と伝えても、たぶん通じません。AIエージェントを束ねて一人で開発する仕事なんて、当時は職業名すら存在しなかったからです。
ここで、正直に告白します。プロ野球選手も、理学療法士も、学校の先生も、いま絶対にやりたいかと言われると、そんなことはないんです。むしろ、時代が変わってAIで新しい価値を出せそうな今が、自分に一番フィットしている。
つまり僕は、子どもの頃に描いたどの夢も叶えていません。なのに、いまが一番しっくりきている。
この矛盾を、どう考えればいいか。今回はそれを、心理学とキャリア論の力を借りて整理してみます。先に今の僕の立場を書いておくと、こうです。 「将来の夢が持てない」のは、欠陥でも努力不足でもない。むしろ、職業の寿命が読めない時代には、わりと理にかなった状態なんじゃないか。これが、今回の仮説です。
まず、数字で現状を見る
僕一人の話にする前に、いまの日本の若者が「将来の夢」をどう持っているかを、数字で確認しておきます。
日本財団が2024年に公表した18歳意識調査(第62回、6カ国調査)があります。日本・アメリカ・イギリス・中国・韓国・インドの17歳から19歳に、各国1,000人ずつ聞いた調査です。
ここで、二つの数字が並びます。
一つは、「自分の将来について夢を持っている」と答えた割合。日本は約6割で、6カ国の中で最下位でした。もう一つは、「自分の国の将来が良くなる」と答えた割合。日本は15.3%で、これも最下位です。ちなみに同じ問いに、中国は85.0%が「良くなる」と答えています。
夢を持っている人が6割いる一方で、社会の未来に希望を持てる人は15%しかいない。 個人として夢は持ちたい。でも、その夢を受け止めてくれる社会の側が、信じられていない。この食い違いが、いまの空気をよく表している気がします。
職業そのものも、揺れています。
ソニー生命が2025年に実施した中高生の意識調査では、男子中学生の「なりたい職業」の1位が、公務員(16.0%)でした。調査開始以来、はじめての首位だそうです。一方、前年まで首位だった「YouTuberなどの動画投稿者」は、約23%から14.0%へと大きく下げて、3位に後退しました。
ここで注目したいのは、順位の上下そのものより、 「なりたい職業」の顔ぶれが、数年単位で入れ替わっている ことです。YouTuberという職業は、僕が子どもの頃には存在すらしませんでした。それが一度トップになり、また安定志向に揺り戻される。
将来の夢を描くという行為は、 「その職業が、自分が大人になる頃まで安定して存在する」 という前提の上に成り立っています。その前提が、いま揺らいでいる。だとしたら、夢を一つに決めきれないのは、むしろ現実をちゃんと見ているからかもしれない。
「決められない」には、二つある
ここで、心理学の整理を一つ入れます。
「将来が決められない」と聞くと、優柔不断とか、意志が弱いとか、ネガティブな響きがあります。でも、キャリア心理学では、ここを明確に区別しています。
イスラエルの心理学者 Itamar Gati らが2013年にまとめた研究では、進路の「未決定」を、二つに分けています。
| 種類 | 中身 |
|---|---|
| career indecision(進路未決定) | まだ決めていないが、複数の道に開かれている発達的・状況的な状態。多くの人が通る正常なプロセス |
| indecisiveness(優柔不断) | 不安を伴い、何を決めるときも決められない、慢性的・特性的な困難 |
大事なのは、 前者は病気でも欠陥でもない、ということです。むしろ、いろいろな可能性に開かれている「適応的な不確実性」だとされています。問題になるのは後者の、不安に根ざした慢性的な決められなさのほうです。
僕の「プロ野球選手 → 理学療法士 → 学校の先生」という移り変わりは、たぶん前者でした。その時々で現実を見て、別の道に開き直していた。決められなかったのではなく、決めたものを更新し続けていた、という感覚に近いです。
キャリア論は、とっくに「becoming」へ動いていた
ここからが、今回いちばん伝えたい話です。
「何になりたいか」を一つ決めて、そこへ最短距離で進む。これが、僕らがなんとなく刷り込まれている進路観です。でも、キャリア研究の世界では、この前提はずいぶん前に乗り越えられていました。
計画的偶発性理論 — キャリアの大半は、偶然でできている
スタンフォードの心理学者 John Krumboltz らが1999年に提唱した「計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)」があります。
主張はシンプルで、 キャリアの多くは、計画ではなく偶然の出来事で形づくられる というものです。だから、偶然を避けるのではなく、偶然を機会に変える力を育てよう、と言います。そのための5つの姿勢が挙げられています。
| 姿勢 | 中身 |
|---|---|
| 好奇心 | 新しい機会を探し続ける |
| 持続性 | うまくいかなくても続ける |
| 柔軟性 | 状況に応じて態度や行動を変える |
| 楽観性 | 新しい機会を実現可能と捉える |
| 冒険心 | 結果が不確実でも行動する |
これ、僕の遍歴にそのまま当てはまります。野球を諦めてスポーツに関わる仕事へ、それも諦めて教える仕事へ、そしてエンジニアから独立へ。一つの夢に直進したのではなく、 そのたびに目の前に来た偶然を、次の一歩に変えてきた。理論の名前を借りると、僕は無計画だったのではなく、計画的偶発性を生きていた、ということになります。
寄り道 — 「成功者の8割は偶然」の出所を追いかけた
この理論を調べていると、必ず出てくる有名な数字があります。 「成功した人のキャリアの約8割は、予期せぬ偶然で決まっている」。よく引用される、キャッチーな一文です。
検証ジャーナルとして、これは確かめないといけません。出所を追いました。
結論から言うと、 Krumboltz らの原典には、この「8割」という数字が見当たりませんでした。どうやら、ネット上で引用が引用を呼ぶうちに、出所のはっきりしないまま定着した数字のようです。便利でキャッチーな数字ほど、こうして一人歩きする。これは自戒も込めて、書いておきます。
代わりに、検証できる数字を見つけました。オーストラリアの研究者 Pryor と Bright が唱えるキャリアのカオス理論に連なる調査で、高校を出た人を追ったところ、 およそ71%が、高校時点で考えていた進路から、計画外の形で変わっていた というものです。対象は55人と小さな調査なので大げさには言えませんが、それでも「多くの人のキャリアは計画通りに進まない」という方向は、8割という出所不明の数字に頼らなくても言えるわけです。
プロティアン・キャリアと、キャリア・アダプタビリティ
計画的偶発性理論の周りには、似た方向を向いた理論がいくつもあります。
ボストン大の Douglas Hall が提唱した「プロティアン・キャリア」は、ギリシャ神話の変身する海神プロテウスが語源です。キャリアの主導権を組織でなく個人に置き、 昇進や年収といった外的な成功でなく、自分の価値観に沿っているかという内的な成功 を基準にする考え方です。
僕の遍歴を、職業名で見ると、バラバラに見えます。野球、理学療法、教育、エンジニア。でも、価値観で見ると、線が通っているんですよね。スポーツに関わりたい、人の成長に関わりたい、何かを作って届けたい。 職業名は変わり続けたけれど、その下にある「何を大事にしたいか」は、わりと一貫していた。プロティアン・キャリアは、この見方を肯定してくれます。
もう一つ、Mark Savickas のキャリア・アダプタビリティという考え方もあります。変化に適応する力を、関心・統制・好奇心・自信の4つに分解して、測定できる尺度(CAAS)にしたものです。13の国と地域で妥当性が確認されています。
ここまで来ると、見えてくるものがあります。 キャリア論の主役は、ずいぶん前から「何になるか(being)」ではなく、「変化にどう適応し、何ができるようになるか(becoming)」に移っていた。「将来の夢が持てない」と悩む僕らは、古い前提のほうに縛られているだけなのかもしれません。
自問 — じゃあ「夢を持て」「軸を持て」は間違いなのか
ここまで読むと、「夢なんて要らない、適応こそ正義」という話に聞こえます。でも、それは言い過ぎです。 明確な目標や夢を持つことには、確かな効用がある。それを示す研究も、同じくらい強い。
一つは、Locke と Latham の目標設定理論です。 具体的で挑戦的な目標を持つほうが、「ベストを尽くせ」や目標なしより、一貫してパフォーマンスが高い。数百の研究で繰り返し確かめられた、頑健な結論です。ただし、これは主に「組織の中の課題遂行」を対象にした話で、人生全体の進路選択にそのまま当てはめるのは、やや射程を広げすぎな面もあります。
もう一つ、人生の「目的意識(purpose)」に関する研究です。Hill と Turiano が2014年に発表した研究では、約6,000人を平均14年追跡して、 人生に目的を感じている人ほど、死亡率が有意に低かった。年齢や他の幸福度の指標を考慮しても、効果は残ったそうです。ただしこれは相関の研究で、「健康な人ほど目的を持ちやすい」という逆向きの可能性は残ります。
そして、いちばん耳が痛いのが、心理学者 Marcia のアイデンティティ・ステータス論です。発達心理学では、この4つの状態の適応の良し悪しについて、ある共通了解があります。
ここでは、人を「探索したか」「決定したか」で4つに分けます。問題は、 探索もせず決定もしない「アイデンティティ拡散(Diffusion)」の状態が、抑うつや適応のしにくさが最も強い という結果です。逆に、 探索を経て決定した「達成(Achievement)」の状態が、心の健康や人生満足が最も良い。
これは、僕の話に刺さります。 「適応し続ける」が、いつのまにか「決めることを先送りし続ける」に滑ったら、それはただの拡散で、いちばん良くない状態だ ということです。「夢を持たなくていい」を言い訳にして、ずっと宙ぶらりんでいるのは、危ない。
ついでに、「選択肢が多いほど自由で幸せ」という直感への反証も置いておきます。Iyengar と Lepper が2000年に行った有名な実験で、試食ブースにジャムを24種類並べると立ち寄りは増えるのに購入率は3%、6種類だと購入率は約30%に上がった、というものです。選択肢が多すぎると、人はかえって選べなくなる。 進路の選択肢が無限にある時代は、選択麻痺を起こしやすい時代でもある。
ただし、正直に補足します。この「選択肢が多いと選べない」効果は、後の大規模な再検証(Scheibehenne ら、2010年)では「平均するとほぼゼロ」とされていて、定説とまでは言えません。条件によって出たり消えたりする、くらいに受け取るのが正確です。
これらの反証を踏まえて、僕の結論は少し調整されます。 目指すのは「夢を捨てて漂うこと」ではない。探索を続けながら、目の前に来た偶然を選び取って、その都度「いま決める」を重ねていく。Marcia の言う、探索を経た「達成」に近い形を、何度も小さく繰り返す。 これが、いまの僕の落としどころです。
AIは、夢を「当てる」装置ではない
最後に、AIの話につなげます。
AIに「僕は何になるべきか」と聞けば、それらしい答えは返ってきます。でも、それは前回 — 「正解がある」と思って育った世代の壁で書いた、平均的な答えに収束していく構造と、たぶん同じです。 AIに進路の「正解」を当てさせると、みんな似たような無難な進路に寄っていく。これは、計画的偶発性が大事にする「偶然」や「冒険心」とは、逆を向いています。
じゃあAIは進路選択に無力かというと、そうだとは思いません。使いどころが違うだけです。
計画的偶発性理論が言うのは、 偶然と出会う回数を増やし、出会った偶然を機会に変えよ ということでした。ここでAIが効きます。知らない分野を、低コストで試せる。気になった領域を、AIと一緒に手を動かして、数日で「触ってみた」状態まで持っていける。 AIは、偶然との接触面を広げる装置 として使える。
実際、僕がいまやっている「AIで新しい価値を作る仕事」も、最初から夢として描いたものではありません。AIを触っているうちに、面白いものができて、それが仕事になっていった。計画ではなく、偶然を機会に変えた結果です。そして、その偶然と出会う速度を上げてくれたのが、AIでした。
だから、AIの正しい使い方は、 「何になるか」を当ててもらうことではなく、「何ができるか」を増やすこと。一つの正解進路に最短距離で連れて行ってもらうのではなく、寄り道の数を増やすために使う。同じAIでも、向ける問いの立て方で、まるで逆の道具になります。
漂わずに、探索する
長くなったので、まとめます。
子どもの頃の僕は、プロ野球選手になりたかった。なれなかった。理学療法士も、学校の先生も、通り過ぎた。どの夢も叶えていないのに、いまが一番フィットしている。最初はこれを、不格好な遍歴だと思っていました。
でも、調べてみると、これはわりとまっとうな現象でした。職業の寿命が読めない時代に、夢を一つに固定できないのは、欠陥ではなく適応です。キャリア論はとっくに、「何になるか」から「変化にどう適応するか」へ動いていた。僕は古い前提に、一人で罪悪感を抱いていただけだった。
ただ、適応を言い訳に、決めることを先送りし続けるのは、いちばん良くない状態でもある。だから、漂うのではなく、探索する。 目の前に来た偶然を、その都度ちゃんと選び取る。これは前回のキャリアチェンジで前職の経験が邪魔をする話が「過去の経験をどう扱うか」だったのに対して、こちらは「これから何を選ぶか」の話で、ちょうど過去と未来で対になっています。
将来の夢は、一つに決めなくていい。でも、宙ぶらりんでいいわけでもない。
だから僕は、夢を一つに決めるのをやめました。そのかわりに選んだ動詞が、 「探索する」 です。決め打ちするのでも、漂うのでもなく、偶然と出会い続けて、来たものをその都度選び取る。AIは、その偶然の数を増やすために使う。
最近、自分の記事は、前回の「翻訳する」に続いて、動詞で締めることが増えました。たぶん僕には、肩書きや夢という名詞で自分を一点に着地させるより、 動詞で自分を再定義し続ける ほうが合っているんだと思います。「何になるか」ではなく、「何をし続けるか」。 それ自体が、この記事で書いてきたことの実演でもあります。
子どもの頃の僕には描けなかった景色を、その探索の途中で、いま見ることができている気がしています。
FAQ
「将来の夢が持てない」のは、本当に問題ないんですか?
問題ない場合と、注意したほうがいい場合があります。本文で触れた通り、進路心理学では「まだ決めていないが複数の道に開かれている状態(career indecision)」と「不安で何も決められない慢性的な状態(indecisiveness)」を区別します。前者は多くの人が通る正常なプロセスです。ただし、決めることを永遠に先送りする「アイデンティティ拡散」に滑ると、心の健康にはむしろ良くない、という研究もあります。「開かれている」と「宙ぶらりん」は違う、というのが僕の理解です。
「計画的偶発性理論」って、要するに「行き当たりばったりでいい」ということですか?
逆です。偶然を待つのではなく、偶然を機会に変える力(好奇心・持続性・柔軟性・楽観性・冒険心)を能動的に育てよう、という理論です。行き当たりばったりとの違いは、出会った偶然に対して、自分から動いて意味づけるかどうかにあります。何もしないで運を待つのとは、正反対の姿勢です。
「成功者の8割は偶然」という話、よく聞きますが本当ですか?
本文で書いた通り、この「8割」という具体的な数字は、よくKrumboltzらに帰されますが、僕が原典を確認した範囲では見当たりませんでした。引用が引用を呼んで定着した、出所のあいまいな数字のようです。検証できる数字としては、高校を出た人の約71%が当初の進路から計画外に変わったという、キャリアのカオス理論に連なる調査(Pryor & Bright)があります(対象55人の小規模な調査である点は補足しておきます)。「多くの人のキャリアは計画通りに進まない」こと自体は確かですが、「8割」という数字を断定的に使うのは避けたほうがよさそうです。
子どもに「将来の夢は?」と聞くのは、もうやめたほうがいいんですか?
やめる必要はないと思います。夢を語ること自体は、好奇心や価値観を言葉にする良い機会です。ただ、「一つに決めて、それに最短距離で進め」という前提で迫ると、職業の寿命が読めない時代には少し酷かもしれません。「いま何に興味がある?」「それのどこが面白い?」のように、職業名でなく価値観や興味を聞くほうが、変化に強い問いになる気がしています。
結局、AIに進路相談していいんですか?
していいですが、使い方次第です。「僕は何になるべきか」と正解を当てさせると、無難で平均的な進路に寄りがちです。それより、「この分野ってどんなことをするの」「ちょっと触ってみたいから一緒に手を動かして」のように、未知との接触を増やす使い方のほうが、計画的偶発性の考え方には合っています。AIは、進路の正解を出す装置ではなく、寄り道の数を増やす装置として使うのがいい、というのが本文の結論です。
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